🥐第47回「フランスは移民への抵抗感と、どう向き合ってきたのか?」
☕イントロダクション
滞在許可証の更新や申請で、「アルジェリア国籍保持者」には特別な案内がある。
これを「なんで?」と思ったことはないだろうか?
アフリカには、セネガル、マリ、コートジボワールなど、かつてフランスの植民地だった国がいくつもある。それでも、アルジェリア国籍者の滞在許可制度には、とりわけ独自の仕組みがある。
その背景をたどると、フランス側でいう「アルジェリア戦争」、アルジェリア側では「民族解放戦争」と呼ばれる、独立をめぐる戦争に行き着く。
1962年の独立と、その後の両国関係を経て、1968年に結ばれた協定が、現在の特別な滞在制度の土台になっているのだ。
つまり、滞在許可証の案内にも、両国の歴史が顔をのぞかせている。
ただし、フランスの移民の歴史は、もっともっと古い。
それより前から、イタリアやベルギー、ポーランド、ポルトガル、スペインなどからも、多くの人が働きに来ていた。そして、その人たちも、最初から歓迎されたわけではない。
✉️ このニュースレターは…
「これから、フランスはどうなっていくのか?」
既存メディアや一次資料からフランスの社会事情を読み解き、「だから今、何を考え、何をすべきか」を探るニュースレターです。
シリアスなフランス語ニュースも日本語で味つけ。蓋を開ければ「酒の肴」──そんな鯖缶のような通称「鯖刊」です。
🏭 フランスが「働き手」を求めた時代
フランスの移民の歴史の中でも、まず移民が大きく増えた、19世紀の工業化の時期から取り上げることにしよう。
19世紀半ば、工業化が進むフランスは、ほかのヨーロッパ諸国に先駆けて出生率が低下していた。
産業を伸ばしたくても、人手が足りない。
そこで最初に働きに来たのが、隣国のベルギー人やイタリア人たちだった。
1881年には、フランスで暮らす外国人は100万人を超えていた。
内訳はざっと、
- ベルギー人 約43万人、
- イタリア人 約24万人、
- ドイツ人が約8万人。
産業を支える働き手は、まず近隣の国々からやって来た。
第一次世界大戦後には、戦争で失われた働き手を補い、国を再建するため、ポーランドなどからも労働者を受け入れた。
1931年の統計では、
- イタリア人が約81万人、
- ポーランド人が約51万人、
- スペイン人が約35万人
つまり、フランスの移民史は、旧植民地からの移住だけで始まったものではない。
しかし、働き手として必要とされることと、地域の住民から歓迎されることは、同じではなかった。
出典:1881年の国勢調査集計、1931年の国勢調査紹介資料。
🏗️ 戦後復興、再び働き手を求めて
第二次世界大戦が終わると、フランスは再び、国を建て直すための働き手を必要とした。
この戦後の復興と経済成長を支えた人々は、どこから来たのか。
1946年、フランスにはイタリア国籍の住民が約45万人、スペイン国籍が約30万人暮らしていた。1962年には、イタリア人は約63万人に増える。
そして1960年代、人の流れがさらに変わる。ポルトガル人は、1962年の約5万人から、1968年には約30万人へ。同じ1968年、スペイン人は約62万人となり、イタリア人を上回った。
その間には、アルジェリア戦争と1962年のアルジェリア独立もある。
フランス本土に暮らすアルジェリア人は、1954年の約21万人から、1962年には約35万人、1968年には約47万人へ増えていた。
出典:INSEE「1946〜1999年の国籍別外国人人口・過去の国勢調査表」:R6 – Étrangers selon la nationalité (17 postes) de 1946 à 1999
🙅1970年以降は 移民受け入れを抑制
しかし、働き手を求め続けたフランスが、かじを切る。
1974年、経済状況の悪化と失業の増加を背景に、政府は労働移民の新たな受け入れを原則停止した。
時の大統領は、ヴァレリー・ジスカール・デスタン、首相はジャック・シラク。
経済悪化と失業増加を背景に方向転換。当初は家族の入国も停止した。
しかし、すでに工場で働き、家を借り、暮らしている人たちがいる。
政府は1977年、対象となる外国人労働者に1万フラン(現在の価値に換算すると約6,900ユーロ、約120万円 )の帰国支援金を用意した。
一方で、前年には家族呼び寄せの条件を制度化している。帰国を促す政策と、家族で暮らすための制度が、並んで存在した。
当時の家族を呼び寄せるための条件は、
在留期間 | 呼び寄せる本人が、フランスに適法に1年以上居住していること |
生活資金 | 家族を養うための安定した十分な資力があること(当時で月収1660フラン、現在なら月1150€、約20万円弱) |
住居 | 家族が暮らすのに適した住居を用意できること |
公共の秩序 | 呼び寄せる家族の滞在が、公の秩序を脅かさないこと |
健康 | 家族が健康診断を受け、公衆衛生などを危険にさらす病気等が確認されないこと |
1977年のこれらの家族呼び寄せ政策=regroupement familial がヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領と、ジャック・シラク首相 政権下で施行される。
そして1984年、10年間有効の在留カードが創設される。
次の大統領はフランソワ・ミッテラン、首相はピエール・モーロワ。
この時に、10年カードの法律ができた。
フランス人でも、姓にイタリア、ポルトガル、スペインのものを持つ人は少なくない。
フランスは、誰を新たに受け入れるか。それと、すでに隣人となった人々が、どう暮らしていくか。この二つの問いに向き合うことになる。
🔄1980〜90年代の規制強化と緩和の往復
1986年 ミッテラン大統領/シラク首相 時代に、パスクワ法といって、不法滞在者の送還を県知事の行政判断でできるようにした法律ができる。 この時、10年カードの取得できる対象・条件も制限。 ⇒引き締め
1989年 その3年後、ミッテラン大統領/ロカール首相 時代に、ジョックス法と呼ばれる法律ができて、10年カードの条件を緩和。また、国外追放を、「公の秩序に対する重大な脅威」があった場合などに限定し、移民の保護を拡大。 ⇒緩和
1993年 その4年後、ミッテラン大統領/バラデュール首相 時代に、再びパスクワ法で、入国・滞在・家族呼び寄せの条件を厳格化。家族を呼ぶために必要な適法な居住期間を、原則1年から2年へ延長。 ⇒引き締め
1997年~98年 シラク大統領/ジョスパン首相 政権で、シュヴェヌマン法により、vie privée et familialeという在留カードを創設。フランス人との個人的、家族的結びつきがある場合、滞在資格(延長可能、1年期限)が認められる。
また、1998年、国籍法改正により、フランス生まれの外国人の子が、一定条件で成人時に自動的に国籍を取得する仕組みを復活させた。 ⇒緩和
2006年、 シラク大統領/ド・ヴィルパン首相 政権で、人手不足職種・地域で外国人の就労許可条件を緩和。またこの時、「能力・才能〈compétences et talents〉」カードを創設。期限は3年間。
この間、家族呼び寄せ・定住に関しては条件を厳しくした。
現在のOFIIの研修につながる仕組みは2003年に試験導入され、この2人の政権下、2006年の法整備によって翌2007年から義務化された。⇒引き締め
2007年、 サルコジ大統領/フィヨン首相 政権下で、オルトフー法を施行。家族を呼び寄せる場合、来る前の居住国でフランス語・共和国の価値に関する評価を実施し、必要に応じた研修を求める。家族呼び寄せ制度では、家族人数に応じた資力条件を導入。 ⇒引き締め
2011年、 同じくサルコジ大統領/フィヨン首相 政権下で、ゲアン通達で、就労移民の抑制を進め、外国人留学生が卒業後に就労資格へ切り替える際の審査を厳格化。 ⇒引き締め
ちなみにこのゲアン通達は、翌2012年、オランド政権下で廃止。
2016年、 オランド大統領/ヴァルス首相 の時代、2年、4年の複数年カード〈carte de séjour pluriannuelle〉の創設。 1年の在留カードを毎年更新から、条件を満たせば複数年カードが取得可能に。 ⇒緩和
2018年、 マクロン大統領/フィリップ首相 の時代、 コロン法で、demandeurs d’asile(庇護申請者)の難民認定、戦争などによる重大な危険から守る protection subsidiaire (補完的保護)として滞在許可を与える可否を判断する庇護手続きについて、不服申立てを含む平均処理期間を、約11か月から6か月に短縮することを目指した。 補完的保護の対象者などには最長4年の在留カードを整備。 ⇒緩和
2024年、 マクロン大統領/アタル首相 政権下のダーマナン法で、 一定の重大犯罪などで有罪判決が確定した場合には、長年合法的に滞在している、フランスに家族がいるといった事情があっても国外へ追放しやすくした。
しかし、一部では人手不足職種で働く不法滞在者の正規化ルートも設ける。
⇒緩和と引き締めの両方
2026年、 マクロン大統領/ルコルニュ首相 政権下で、「2024年移民法に基づく施行措置」を施行。
複数年カード、10年カード、帰化申請に、市民試験合格証と、語学レベルの証明書が義務化。 ⇒引き締め
ここで紹介した政策は、「特に有名なもの」だけなのだが、これだけ見ても、政府の政策が右往左往していることが分かる。
経済は、人の移動に開放性を求める。
しかし一方で、安全保障や政治的な圧力は、閉鎖を求める。
国家が抱えるこの矛盾を「リベラルなパラドックス」と言うらしいが、追放の強化と、人手不足職種で働く人の正規化が同時期に法律化するのも、その表れなのかなと。
フランスは、移民への抵抗感に応えるように、入国・滞在・送還のルールを、意外に細かく変更している。
しかし、同時に「自由・平等・博愛」を掲げるフランスには、すでに暮らしている人たちが、家族と安心して生活できるようにする責任もある。さらに、働き手が足りない現場では、外国人の力も必要だ。
新しく来る人は減らしたい。でも、すでに暮らしている人の権利は守りたい、働き手にも来てほしい。
こうした要請を同時に満たそうとして、身動きが取れなくなっているようにも見える。
🐈国の言う「人手不足職種」とは?
移民政策で、良く出てくる「人手不足職種」という職種にはどんなものがあるのだろう?
この「人手不足職種」を補うためには、移民は不可欠なのだろうか?
これについては、政府が、
職種と地域の組み合わせで指定したリスト〈métiers en tension〉
というものがある。
分野 | 具体的な職種の例 |
|---|---|
飲食・ホテル | 調理師、厨房補助、飲食店の多目的スタッフ、ホテル従業員 |
介護・生活支援 | 訪問介護・家事援助、家事労働者、看護補助職 |
農業 | 農作業員、畜産従事者、野菜・果樹・ブドウ栽培の従業員 |
建設 | 左官・組積工、屋根職人、建築電気工、塗装・仕上げ職人 |
工業・整備 | 溶接工、金属加工、機械関係の技術職 |
専門職 | 看護師、IT開発技術者・エンジニアなど |
出典:2025年5月21日付省令・付表Ⅰの地域別指定職種から抜粋し、筆者が分野別に整理。対象職種は地域により異なる。
このリストを見て、「確かに外国人がたくさん働いている仕事だな」と思ってしまった。
では、政府が外国人を受け入れやすくしたから、こうなったのだろうか?
実は、このリストは、「人を採りにくいこと」に加え、「すでに外国人が多く働いていること」も基準にしている。
外国人が多い仕事が、リストに選ばれている面もある。
移民の受け入れを厳しくする一方で、働く現場では、その力を必要としている。このリストには、フランスが抱えるそんな事情が表れているように思う。
📈単純な移民の数は毎年増え続けている
出典: INSEE「移民と外国人についての基本統計」2026年6月25日公表
とはいえ、過去20年(2006年~2025年)
を見比べると、ヨーロッパ、マグレブ(アルジェリア、モロッコ、チュニジア)、マグレブ以外のアフリカ、アジア、オセアニアの5地域すべてで、移民数は増え続けている。
割合が下がったヨーロッパやマグレブも、人数自体は増えているのだ。
ヨーロッパ 約202万人→約241万人(39万人)
マグレブ 約155万人→約233万人(78万人)
マグレブ以外のアフリカ 約61万人→約159万人(98万人)
アジア 約69万人→約114万人(45万人)
アメリカ大陸・オセアニア 約26万人→約49万人(23万人)
移民全体 約514万人→約797万人
この約20年で、フランスに暮らす移民人口は約280万人、スロベニア一国分(214万人)以上増えた。
🍷エピローグ
フランスは、移民への抵抗感と、どう向き合ってきたのだろうか?
今回の問いはもちろん、10月17日(土)のフランスの
「しっちゃかめっちゃかぶり」
をきっかけに思い立ったものでもある。
ただ、今回は右か左かという政治の話ではなく、これまで耳にしてきた移民の歴史を、ちょっとたどってみたくなった。
そして…想像してみてほしい。
あなたがシェアハウスのオーナーで、自分もそこに住んでいるとする。
自分で選んだ入居者が、どうしても価値観やモラルの合わない人だったら? と。
それでも一緒に住み続けなければならないとしたら、かなりのストレスになるのではないだろうか。
しかも、そこはあなたの家のはずなのに、その入居者は自分の家だと言わんばかりに振る舞い、あなたの家にあるモノを奪い、壊す。
それなのに、「私をこの家に迎え入れたのは、あなたですよね?」と主張する。
今のフランスで起こっていることの一部は、こんな感覚に近いのではないかと思う。
このシェアハウス(フランス)には、ガリア人やフランク人、ガロ・ローマ系の人々、ブルトン人、バスク人など、長い歴史の中でこの国を形作ってきた人々がいる。
彼らが、このシェアハウスの秩序を脅かす住人に抵抗感を抱くのは、正直、当たり前のことだと思う。
わたしもこのシェアハウスの住人の一人だが、そこは決められた家賃(税金)を払って、住まわせてもらっている、一住人だという自覚は当然ある。
このシェアハウスの例えで考えると、今、フランスで見られる抵抗感も想像に難くない。
つまり、フランスでは1800年代後半から、多かれ少なかれ、こうした抵抗感がずーーーっと繰り返されてきたのだ。
今、フランスに住んでいると、その積もり積もったうっぷんを、ひしひしと感じる。
あなたの国はどうですか?
🤓ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
一緒に住みたくない人との共生という抵抗感。
あの暴動のあとの報道を見ていて、呼び起されたのがこんな感覚でした。
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あなたがどこに引っかかったのか、とても参考になります。
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それでは、また来週の土曜日に。お会いしましょう、ね?
参考資料:
James F. Hollifield「Migration and the Liberal Paradox in Europe」2022年
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